十二月のお念仏の会  360回

アメリカ合衆国第十六代大統領エイブラハム・リンカーン(1809~1865年)は、”四十歳を過ぎた人間は自分の顔に責任を持たなければいけない”と言う名言を残しています。リンカーンが大統領就任中の時のこと、顧問からある男を内閣に入れてはどうかとの進言がありました。するとリンカーンは、「私はあの男の顔が気にいらんのだ」と答えました。顧問は「しかし大統領、顔のことは本人の責任ではないでしょう。」と反論しました。それに対してリンカーンは「男は四十歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たなければならない」と言う、あの名言を発したのでした。

まず、この四十歳という年齢ですが、親からの遺伝子が効力を発揮するのはこの四十歳くらいまでと言われています。それ以降は遺伝子の効力は徐々に薄れ、その人の生き方が顔に表れるようです。誰にでも明るく穏やかに接する人は、明るい穏やかな人に好かれる顔になるでしょうし、いつも怒ってばかりいる人は、それなりに怖い顔になるでしょう。

ついでにもう少しリンカーンの名言を紹介します。

”もし木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう”

“待っているだけの人たちにも何か起こるかもしれないが、それは努力した人たちの残り物だけである”

“君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない”

大宅壮一さんの名言を紹介します。「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」

日々お念仏に励んでいる方は、穏やかな、落ち着いた、自信のある顔になっていくでしょう。                                                                                                                                        尚、今の新コロナの感染状況からすると、この先日増しに悪化するのは目に見えております。よって、来年一月と二月の念仏の会は 中止とさせて頂きます。三月以降の開催については後日連絡致します。

十一月のお念仏の会  第359回

年度が変わり、新年度最初のお念仏の会です。例年ですと前年度の皆勤賞の表彰があるのですが、新コロナウィルスの影響で、半分ほどしか開催することが出来ませんでしたので、残念ながら今回は無しとさせて頂きます。今年度は全回開催できることを願うばかりです。

今日は中国にある昔話を紹介致します。ある兄弟が一頭のロバを引いて家に向かっていました。するとそれをみた村人に「せっかくロバがいるのにどうして乗らないのか」と言われました。そこで、兄がロバの背に乗り、弟がそれを引いて進みました。しばらく行くと、今度は、「年下の弟にロバを引かせるとはずいぶん思いやりがないなあ」と言われました。なるほどと思った兄はロバから降り、弟を乗せて進みました。すると今度は、「年上の兄にロバを引かせるとは礼儀知らずだな」と言われました。これも一理あるなと思い、今度は2人一緒にロバの背に乗って進みました。次に出会った村人に「小さなロバなのにかわいそうじゃないか」と言われました。兄弟は困ってしまい、悩んだすえ、とうとう2人でロバを担いで進みました。そのうち2人はロバの重みで疲れ果て、転んでしまいました。その結果、ロバは死んでしまい、2人も大けがを負いました。

一体なぜこのような結果になってしまったのでしょうか。これには二つの理由が考えられます。それは目的と信念ではないでしょうか。人が行動を起こすとき、まずは明確な目的を持ち、次に、他人の言うことに左右されないしっかりとした信念を持つ事が大切だと思います。

自分は、臨終の最後には必ずお浄土に生まれるのだというはっきりとした目的を持ち、お念仏に励んでいれば、必ずや阿弥陀様がお救い下さる、お浄土に連れて行って下さるという信念を持って生活をする事が大切ではないでしょうか。

 

十月のお念仏の会 第 358回

先月は幸福度世界ナンバーワンの国ブータンとそれに関する”足るを知る”と言う格言についてお話ししましたが、今月は日本の”藁しべ長者”の話とブータンの同じような話を比較してみたいと思います。 

日本:藁しべ長者 有る男が貧乏を脱しようと観音様をお参りしたところ“始めに触った物を大切にしなさい”とのお告げがあった。お堂を出た途端に石につまずいて転び、偶然一本の藁に手が触れた。男はこの藁を大切に持って旅に出た。すると一匹のアブが顔の周りをつきまとってきた。煩わしいのでこのアブを捕まえ、藁しべの先に結びつけた。次に傍らで大泣きしている子どもがこれを欲しがったため、母親がみかんと交換してくれと懇願してきた。男は交換に応じた。さらに行くと、喉の渇きに苦しんでいる商人と出会った。みかんを欲しがったので、上等な反物と交換した。今度は侍と出会った。愛馬が倒れてしまったが、急いでいるため、家来に馬の始末を命じて先を急ぐ。男は馬をかわいそうに思い、反物との交換を申し出る。家来に反物を渡した後、馬に水を飲ませたところ、元気を取り戻した。男は旅を続けた。大きな屋敷の前を通りかかったとき、ちょうど旅に出ようとしていた屋敷の主人が、男に留守を頼み、代わりに馬を駆りたいと申し出る。三年経っても帰らなければ屋敷を譲ると言って、馬に乗って出発した。三年経っても帰らなかったので、男は屋敷の主人となった。

ブータン:有る男が大きなトルコ石を掘り当てた。男は町まで交換に出掛けたところ、牛を引いている人と会い、牛とトルコ石を交換した。この牛が馬に、馬が羊に、羊が鶏に変わった。そして最後にその鶏は、道で歌っている人の歌声に換わった。その後、男の周りには歌にひかれて大勢の人が集まり、一生幸せに暮らしたという話。

この二つの話は、人はどのような生活を望むのか、どのようになりたいのか、どのようになったら幸せなのか、そんな問から生まれた話ではないでしょうか。

 何か考えさせられるところがありますね。

九月のお念仏の会 第 357回

六月開催以来の久しぶりのお念仏の会です。                   

今回のテーマは“足るを知る”です。

以前ブータンという国の話をしたことがあります。それは10年ほど前のことです。当時ブータンは幸福度世界ナンバーワンと言われておりました。最近同じような調査が行われました。それによると、ブータンの順位は九十七位に落ちてしまいました。その理由は、十年前にはなかったスマートフォーンが普及し、他の国のことがよく分かるようになったからです。貧しい国であるブータンの人たちは、よその国の人が自分たちよりも良い生活をしていることが分かってしまいました。即ち、よその国の人の生活と自分を比較するようになったのです。日本でも同じような調査が都道府県別に行われました。富山県、石川県、福井県が上位三県でした。真宗王国と言われる北陸三県でした。佛教の教えが影響しているのではないかと考えてみました。それは“足るを知る”という言葉だと思います。この意味を辞書で調べてみると、

1,数料が十分である 不足がない

2,満足である

3,分に相応する

4,価値がある

とあります。身分相応に満足することを知るということでしょう。もう少し掘り下げて考えてみると、次の様に考えられると思います。無い物を欲しがるのではなく、自分の持って生まれた天分や才能を十分に生かして生活をしなさいと。即ち、「無いもの」「不足しているもの」に注目するのではなく、「足りているもの」「すでにあるもの」に注目するのです。足りているものに注目すれば、そこには感謝の心が生まれてくるのではないでしょうか。

因みに最近の幸福度の順位は、一位はデンマーク、日本は五十一位でした。

 

 

 

 

六月のお念仏の会 第356回

新型コロナウイルスの影響で3,4,5月を休会致しました。久しぶりのお念仏の会です。

今日はパックン(本名パトリック・ハーラン)が書いた”ハーバード流聞く技術”という本の中から、気になったことをお話しします。パックンはかの有名なハーバードを卒業後、来日、現在お笑い芸人として様々な方面で活躍中です。

我々は人の話を聞いているようで聞いていない。聞いていても理解できていない。そこで問題を出しますのでよく聞いてお答え下さい。

問:あなたはバスの運転手です

  朝一番に出発して、一つ目のバス停で10人のお客さんが乗りました。

  次のバス停で5人降り、3人乗りました。

  更に次のバス停では2人が降り、9人が乗りました。

  さてバスの運転手は何歳でしょうか?(答えは最後に書いてあります)

 

相手の気持ちを訊くこと、知ることの必要性

 あるところに一頭の牛を取り合っている2人の男がいました。”これは俺の牛だ”と 主張するばかりで相手の話に耳を貸さず、お互いに引っ張り合うばかりでした。そのうち牛は半分にちぎれてしまいました。一人の男は肉を食べたかったのです。手に入れた半分の牛の肉を食べ、皮は捨てました。一方の男は皮のジャンパーを作りたかったので、半分の皮だけを使い、肉は捨てました。

 

答え:あなたの年齢です。残念ながら当日正解者は一人もいませんでした。

五月お念仏の会

冠省
 新型コロナウイルスの収束が全く見えて来ない中、会の皆様いかがお過ごしでしょうか。5月のお念仏の会は中止致します。6月以降の開催も全く不透明な状態です。再開できるようになりましたらお知らせ致します。
心も体も病んでしまいそうな日々がまだまだ続きそうです。そこで、少しでも心の栄養になればと思い、今日はこのお話を紹介致します。
これは、2017年11月のお念仏の会でお話ししたものです。あるアメリカ人の書いた詩が元になっている話を私なりに色々と置き換えて作ったものです。
 ある人が、これまでの自分の一生を振り返る夢を見ました。砂浜に、二組の足跡が並んで続いていました。この人は、仕事も私生活も順調で、お墓まいりもよくし、菩提寺の行事にも必ず参加する熱心な信者さんでした。常に仏様と生活を共にしている厚い信仰を持った人でした。だからこの二組の足跡が自分と仏様のものだとすぐにわかりました。しかし、ある時から仕事がうまくいかなくなり、さらに家庭内もギクシャクし始めました。そしてあれだけ信仰熱心だったのに、お寺にも全く行かなくなってしまいました。ちょうどこの頃です。二組あった足跡が一組になってしまったのは。
この話を初めて聞いた時、私は、この一組になってしまった足跡は、絶望に打ちひしがれて一人ぼっちで歩くその人自身の足跡だと思いました。ところがそうではなかったのです。話は次のように続いています。
 阿弥陀様は『日頃から南無阿弥陀仏と私の御名を唱えている信仰心の厚いお前のそばを離れたことはない。お前が最も苦しんでいた時、砂の上に一組の足跡しかなかったのは、私がお前を背負って歩いていたからなのだよ』とおっしゃいました。その人はハッと気付きました。あの一組になった足跡は自分のものではなく、阿弥陀様の足跡だったことに。

※体の健康につきましては皆様がそれぞれ工夫をこらして維持していただきますようお願い致します。

 

四月お念仏の会

新型コロナウイルスが猛威を振るう中、皆様いかがお過ごしでしょうか。一日も早い収束を願うばかりです。

お念仏の会も、残念ながら、三月に続いて四月も休会する事に決定いたしました

お寺の本堂で皆さんと御一緒にお念仏を称え、またお茶を飲みながら色々な楽しい話をする、そんな機会をすっかり奪われてしまったわけです。でも、お念仏はいつでもどこでも称える事が出来ます。お仏壇に向かって手を合わせ心からお念仏を称えて下さいますようお願い致します

尚、ここに私の大好きな話をプリントして同封いたしました。しばし新型コロナウイルスのことを忘れ、すがすがし気持ちに浸って頂けたら幸いです。

五月の会には、お元気な皆様のお顔を拝見出来ますことを心待ちにしております

 

僕は今年3月、担任の先生からすすめられて、A君と2人で〇〇高校を受験した。その〇〇高校は私立であって、全国の優等生が集まってきている、いわゆる有名高校である。担任の先生から君たち2人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと僕らは猛烈に勉強した。ところがその入試でA君は期待どうりパスしたが僕は落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底に落ちてしまったのだ。何回かの実力テストではいつも僕が1番で、A君がそれに続いていた。それなのにこの僕が落ちて、A君が受かったのだ。 誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が、部屋に閉じこもっている僕のために、僕の好きな物を運んでくれても、優しい言葉をかけてくれても、それがよけいにしゃくにさわった。何もかもたたき壊し、引きちぎってやりたい怒りに燃えながら、布団の上に横たわっているとき、母が、”Aさんが来て下さったよ”、と言う。僕は言った。「母さん、僕は誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。世界で一番いやな憎い顔があるんだ。誰の顔か言わなくたってわかっているだろう。帰ってもらっておくれ。」                       
母が言った。「わざわざ来て下さっているのに、母さんはそんなこと言えないよ。あんた達の友人関係って、そんな薄情なものなの。ちょっと間違えれば敵味方になってしまうような薄っぺらいものなの。母さんにはA君を追い返すなんて出来ないよ。太郎(仮名)、嫌なら嫌でそっぽを向いていなさいよ。そしたら帰ってくれるだろうから。」と言っておいて、母は出て行った。 入試に落ちた僕のみじめさを、僕を追い越したことのない者に見下される。こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、僕は気が狂いそうだった。二階に上がって来る足音が聞こえる。布団をかぶって寝ているこんなみじめな姿なんか見せられるか。胸を張って見据えてやろうと思って、僕は起き上がった。戸が開いた。中学の3年間、A君がいつも着ていたくたびれた服のA君。涙をいっぱいためたクシャクシャの顔のA君。「太郎君、僕だけが通ってしまってごめんね。」やっとそれだけ言って、両手で顔を覆い、駆けるようにして階段を下りていった。
 僕は恥ずかしさで一杯になってしまった。思い上がっていた僕。いつもA君なんかに負けないぞ、とA君を見下していた僕。この僕が合格して、A君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて、「僕だけ通ってしまってごめんね」と泣いて慰めに行っただろうか。
「ざまあみろ!」と余計思い上がったに違いない自分に気づくと、こんな僕なんか落ちるのが当然だと気がついた。彼とは人間の出来が違うと気づいた。通っていたら、どんなに恐ろしい、一人よがりの思い上がった人間になってしまっただろう。「落ちるのが当然だった。落ちて良かった。本当の人間にするために、天が僕を落としてくれたんだ。」と思うと、悲しいけれども、この悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。
 僕は今まで、思うようになることだけが幸福だと考えてきたが、A君のおかげで、思うようにならないことの方が、人生にとってもっと大事なことなんだということを知った。
昔の人は15歳で元服したという。僕も入試に落ちたおかげで元服できた気がする。