四月お念仏の会

新型コロナウイルスが猛威を振るう中、皆様いかがお過ごしでしょうか。一日も早い収束を願うばかりです。

お念仏の会も、残念ながら、三月に続いて四月も休会する事に決定いたしました

お寺の本堂で皆さんと御一緒にお念仏を称え、またお茶を飲みながら色々な楽しい話をする、そんな機会をすっかり奪われてしまったわけです。でも、お念仏はいつでもどこでも称える事が出来ます。お仏壇に向かって手を合わせ心からお念仏を称えて下さいますようお願い致します

尚、ここに私の大好きな話をプリントして同封いたしました。しばし新型コロナウイルスのことを忘れ、すがすがし気持ちに浸って頂けたら幸いです。

五月の会には、お元気な皆様のお顔を拝見出来ますことを心待ちにしております

 

僕は今年3月、担任の先生からすすめられて、A君と2人で〇〇高校を受験した。その〇〇高校は私立であって、全国の優等生が集まってきている、いわゆる有名高校である。担任の先生から君たち2人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと僕らは猛烈に勉強した。ところがその入試でA君は期待どうりパスしたが僕は落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底に落ちてしまったのだ。何回かの実力テストではいつも僕が1番で、A君がそれに続いていた。それなのにこの僕が落ちて、A君が受かったのだ。 誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が、部屋に閉じこもっている僕のために、僕の好きな物を運んでくれても、優しい言葉をかけてくれても、それがよけいにしゃくにさわった。何もかもたたき壊し、引きちぎってやりたい怒りに燃えながら、布団の上に横たわっているとき、母が、”Aさんが来て下さったよ”、と言う。僕は言った。「母さん、僕は誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。世界で一番いやな憎い顔があるんだ。誰の顔か言わなくたってわかっているだろう。帰ってもらっておくれ。」                       
母が言った。「わざわざ来て下さっているのに、母さんはそんなこと言えないよ。あんた達の友人関係って、そんな薄情なものなの。ちょっと間違えれば敵味方になってしまうような薄っぺらいものなの。母さんにはA君を追い返すなんて出来ないよ。太郎(仮名)、嫌なら嫌でそっぽを向いていなさいよ。そしたら帰ってくれるだろうから。」と言っておいて、母は出て行った。 入試に落ちた僕のみじめさを、僕を追い越したことのない者に見下される。こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、僕は気が狂いそうだった。二階に上がって来る足音が聞こえる。布団をかぶって寝ているこんなみじめな姿なんか見せられるか。胸を張って見据えてやろうと思って、僕は起き上がった。戸が開いた。中学の3年間、A君がいつも着ていたくたびれた服のA君。涙をいっぱいためたクシャクシャの顔のA君。「太郎君、僕だけが通ってしまってごめんね。」やっとそれだけ言って、両手で顔を覆い、駆けるようにして階段を下りていった。
 僕は恥ずかしさで一杯になってしまった。思い上がっていた僕。いつもA君なんかに負けないぞ、とA君を見下していた僕。この僕が合格して、A君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて、「僕だけ通ってしまってごめんね」と泣いて慰めに行っただろうか。
「ざまあみろ!」と余計思い上がったに違いない自分に気づくと、こんな僕なんか落ちるのが当然だと気がついた。彼とは人間の出来が違うと気づいた。通っていたら、どんなに恐ろしい、一人よがりの思い上がった人間になってしまっただろう。「落ちるのが当然だった。落ちて良かった。本当の人間にするために、天が僕を落としてくれたんだ。」と思うと、悲しいけれども、この悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。
 僕は今まで、思うようになることだけが幸福だと考えてきたが、A君のおかげで、思うようにならないことの方が、人生にとってもっと大事なことなんだということを知った。
昔の人は15歳で元服したという。僕も入試に落ちたおかげで元服できた気がする。