三月のお念仏の会  第302回

今年の練馬区仏教会の花まつりは我々八班の当番です.4月26日ホテルカデンツアを会場に、花まつり法要と同時に、青山繁晴氏の講演会を開催致します.十年前の戦後六十年の時も我々が当番にあたり、『月光の夏』という特攻隊をテーマにした毛利恒之氏原作の映画を上映しました.大好評の中、沢山の方がおいで下さいました.知覧の飛行場から若い隊員が沖縄海上の空母に対して果敢に突撃したのですが、ここに、飛び立つ前に彼らが書いた手紙をいくつか紹介致します.
 母上様お元気ですか.長い間本当に有り難うございました.我、6歳のときより育て下されし母、まま母とはい え、世のこの種の母にあるごとき不祥事は一度足りとてなく、慈しみ育て下されし母、ありがたい母、尊い母.俺 は幸福であった.ついに最後までお母さんと呼ばざりし俺、幾度か呼ばんとしたが、なんと意志薄弱な俺だったろ う.母上、お許しください.さぞ寂しかったでしょう.今こそ大声で呼ばしていただきます.お母さん、お母さん、お母さんと。(相花信夫さん18才の手紙 実のお母さんは6才の時に亡くなっています)         
 
ただ今元気旺盛、出発時間を待っています.いよいよこの世とお別れです.お母さん、必ず立派に体当たりしま  す.昭和20年5月25日8時、これが私が空母に突入する時です.今日も飛行場まで、遠いところの人々が、私 たち特攻隊の為に慰問にきて下さいました.ちょうどお母さんのような人でした.別れの時は見えなくなるまで見 送りました.24日7時半八代上空で編向し、故郷の上空を通ったのです.ではお母さん、私は笑って元気で行き ます.長い間お世話になりました.妙子姉.さん、緑姉さん、武よ、元気で暮らして下さい.お母さん、お体大切 に.私は最後にお母さんがいつも言われるお念仏を称えながら、空母に突入します。南無阿弥陀仏(山下孝之さん 19才の手紙)  
私も何度か知覧の特攻記念館をお参りしていますが、何度お参りしても涙なくしてお参り出来ません.このような多くの若者の犠牲があったからこそ、今日の日本の繁栄や平和があるという事を決して忘れてはならないのです.常におかげさまの感謝の気持ちを持ちながら生活したいものです.