十二月のお念仏の会   第343回

前月は、法然上人初学の地である菩提寺の大銀杏やご法語についてお話ししましたが、今月は、法然上人が出家するまでをご法語にそってお話し致します。
法然上人の父は漆間時国といい、美作の豪族で押領使(警察官と村長を兼ねたようなもの)をしていました。そこに預所(あずかりどころ)という、今でいう支配人に当たるものが出向いてきて、年貢などの管理にあたります。そしてこの地にも明石源内定明という預所がやってきました。地元の豪族が仕切っていた所に、新たによそから、しかもその上に立つ者が入ってくるのですから、うまくいかなくなるのは想像がつきます。そして、時国と定明とが決定的な不仲になってしまいました。ある夜、定明は夜陰に乗じて、時国の館を襲ったのです。不意を討たれた時国はここで非業の最期を遂げたのです。時国はいまわの際に、九歳になる法然上人に遺言を述べます。”もし私の仇をお前が打てば、次はお前が仇として狙われる。尽きることのない仇打ちを止め、出家して私の菩提を弔い、自らの解脱を求めなさい”と。
法然上人はのちに浄土教を確立して「厭離穢土欣求浄土」(穢れたこの世を厭い離れ、真実の浄土を欣い求める)と唱えましたが、その原点がここにあるのではないでしょうか。