十一月のお念仏の会   第331回

今日の話は、あるアメリカ人の書いた詩が元になっている話を私なりに色々と置き換えて作ったものです。
ある人が、これまでの自分の一生を振り返る夢を見ました。
砂浜に、二組の足跡が並んで続いていました。この人は、仕事も私生活も順調で、お墓まいりもよくし、菩提寺の行事にも必ず参加する熱心な信者さんでした。常に仏様と生活を共にしている厚い信仰を持った人でした。だからこの二組の足跡が自分と仏様のものだとすぐにわかりました。しかし、ある時から仕事がうまくいかなくなり、さらに家庭内もギクシャクし始めました。そしてあれだけ信仰熱心だったのに、お寺にも全く行かなくなってしまいました。ちょうどこの頃です。二組あった足跡が一組になってしまったのは。
この話を初めて聞いた時、私は、この一組になってしまった足跡は、絶望に打ちひしがれて一人ぼっちで歩くその人自身の足跡だと思いました。ところがそうではなかったのです。話は次のように続いています。
 阿弥陀様は『日頃から南無阿弥陀仏と私の御名を唱えている信仰心の厚いお前のそばを離れたことはない。お前が最も苦しんでいた時、砂の上に一組の足跡しかなかったのは、私がお前を背負って歩いていたからなのだよ』とおっしゃいました。その人はハッと気付きました。あの一組になった足跡は自分のものではなく、阿弥陀様の足跡だったことに。

十月のお念仏の会   第330回

私の都合により十月のお念仏の会は第二土曜日になりました。
今日は『笠地蔵』の話です。この話はご存知の方もいらっしゃるかと思います。雪深い山里に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。二人は笠を作って生活をしていましたが、この年は不景気で、正月のお餅を買うお金もありませんでした。そこでおじいさんは町まで笠を売りに出かけました。しかし笠は一つも売れませんでした。仕方なくおじいさんは家に帰ることにしました。やがて激しい吹雪になってきました。行きに見かけた六体のお地蔵様は、雪で真っ白になっていました。”これは大変じゃ”と、おじいさんは売り物の笠をお地蔵様の頭にかけてあげました。家に帰ると、おばあさんが玄関で待っていました。『笠は一つも売れんかった。すまんのう』『おじいさんが無事に帰ってきただけでよかったですよ』
その晩おじいさんはお婆さんにお地蔵様の話をしました。おばあさんは、『いいことをしたじゃありませんか。お地蔵様たちも喜んでおられることでしょう。』と、一緒に喜びました。
その晩二人が寝ていると『ズズーン、ズズーン』と大きな物音がしました。二人が恐る恐る玄関の戸を開けてみると、米俵、お餅、野菜、魚、小判まで置いてありました。遠くに笠をかぶったお地蔵様の姿が見えました。
釈尊は、『人が良いことをした時にそれを一緒に喜んだり、褒めてあげたりすることは、良いことをしたのと同じくらい功徳があるのです』と、おっしゃっています。正しい生活にいそしみ、阿弥陀様に素晴らしいお迎えをいただくことは、まさに最高の就活だと思います。

九月のお念仏の会   第329回

八月が夏休みだったため、二ヶ月ぶりのお念仏の会となりました。今日は私の大先輩の土屋光道先生のお書きになった”花開いて仏を見たてまつる”という本の中からお話しします。
今、日本は世界に誇る長寿国になりましたが、古い時代は非常に短命でありました。だから若い時から死に望む覚悟があったのです。臨終ということを人に言い、自分にも言い聞かすことをたしなみとしてきたのです。現代は長寿になったせいで、臨終はまだまだ遠い先のことと考え、先延ばしにしているのです。しかし、人生においても、お芝居においても、フィナーレ、最後の幕引きはとても大切なことなのです。そこで”臨終は我が家で”というお話をします。私も大変お世話になっている田中正道氏のお母様についてです。体調をくずして入院なさったのですが、なかなか良くなりません。良くなるどころかその後危険な状態に陥りました。ところが母上はどうしても家に帰りたいと再三仰います。そこで主治医にその旨話したところ、『とんでもない、お母さんを殺す気ですか。お坊さんともあろう人が、一体命というものを何と心得ているのですか。現在三度の食事も喉を通らず、二十四時間点滴をして酸素吸入もしている。そんな人をうちに連れて帰ったならば、三日ともちませにんよ。保証します。』と、こう言われてしまいました。ところがお母様がどうしても帰りたいというので、院長先生に相談したところ、そこまで強い思いであればよろしいでしょうと、お許しが出ました。家に帰って寝床へ連れて行こうとしたら、ご本堂の阿弥陀様のところへ連れて行ってと言われました。本尊様の前で小さな声でお念仏をお唱えになったその姿は、それはそれは嬉しそうだったそうです。医師から三日と持たないと言われていたことからも、家族みんなが緊張しながら看病にあたりました。最初は夫婦二人だけで頑張っていましたが、その大変さを見て子供たちも懸命に看病してくれました。そのおかげでしょうか、三日と言われた命が3ヶ月以上もちました。これが仏様のご加護なのでしょうか。しかし子供さんたちにはこれ以上ない教育ができたのではないでしょうか。こちらが本当の仏様のご加護かもしれません。

七月のお念仏の会   第328回

あるお坊さんがお経の一部をわかり易く訳したものが目に付いたのでご紹介します。タイトルが”人生の達人になるための条件”です。これに3つあります。
1、真理を語ること
嘘をつかずに事実をあるがままに語る(一つ嘘をつくとその嘘を隠すために嘘の上塗りをしなければならなくなってしま う。次々と嘘をつくのは大変疲れることとなります。楽に生きるということが達人になるための条件だそうです  
2、人に頼まれたら少しでも助けてあげる
自分にできることだけで良いから実践する。何でもかんでもやるのは不可能です。

3、怒らないこと
怒りをコントロールすることは大変難しいことです。あいつのせいで俺は頭にきたんだと、怒りを他人のせいにしてはならない。あんなことをされたら怒るのは当たり前だと、怒ることを正当化してはならない。仏様は”たとえ自分がのこぎりで切られても決して怒ってはいけません”とおっしゃっています。このことと比べれば、前述の2つのことなど大したことではないはずです。怒りは強烈な猛毒を持ったウイルスのようなものです。怒りに感染すると自己管理ができなくなってしまいます。怒りを克服することが即ち人生の達人になるためのいちばんの近道のようです。

六月のお念仏の会   第327回

先日真子様がブータン王国を公式訪問なさいましたが、ブータンといえば幸福の国として有名です。世界の中でも極貧国の一つに数えられているにもかかわらず、国民のほとんどが”自分は幸福だと感じている”ということで有名になりましたが、今ではそう感じる人は全体の半分以下になってしまったそうです。
仏教では人間として存在する限り、避けて通ることのできないものとして苦を捉えています。「人生は苦なり」という言葉が仏教の出発点なのです。苦しみと向き合っている時が人間の本当の姿なのです。
四苦(生老病死)、八苦(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)

五月のお念仏の会   第326回

今月のお念仏の会は4月23日のぼたん祭りの中に、コンサートと共に繰り入れて開催いたしました。大勢の方が参加して下さいました。初参加の方が大勢いらしたので、今回の話はお念仏についての基本的な内容でした。お念仏とはなんだろう。どんな意味があるのだろう。どんな功徳があるのだろう。どのようにお称えすればよいのだろう。話の後はいつものように木魚を打ちながらお念仏をお唱えいたしました。
なお、次回のお念仏の会はいつものように第一土曜日6月3日(土)2時からです。


四月のお念仏の会   第325回

病気にかかった時、治すために一番必要なものは自らが持っている治癒力です。もちろん薬や医師の治療も必要ですが、最後は自らの治癒力が働いて病気を治すのです。その治癒力を高める為には腸の働きを活発にすることです。腸の働きを活発にする為には体温を上げる必要があります。体温を上げても頭は冷たくしておかなければいけません。昔から言われているようにこれが”頭寒足熱”です。頭寒足熱の状態で生活するのが理想的なのです。
”頭北面西”という言葉をご存知だと思いますが、これはお釈迦様が亡くなられた時の体勢です。頭が北にあり、お顔が西を向いている。すなわち、右を下にして横に寝ている形です。当然足は南にあるはずです。理想的な体制をとってらしたのです。しかも右側を下にした時の肺呼吸は吸い込んだ酸素の量に見合った血液が流れ、ガス交換もスムーズにいくそうです。ところが左を下にするとバランスが悪くなり、苦しくなってしまうのだそうです。”北枕”は忌み嫌われていますが、私はお釈迦様の教えのとおりいつも北枕で寝ています。
健康な体を維持し、お念仏に励みたいものです。