三月のお念仏の会   第345回

二月はお休みだったので、二ヵ月ぶりの開催です。

今日は、”なんとめでたいご臨終”という本をご紹介いたします。著者は小笠原文雄さんで、この方は、岐阜県でお寺の住職とお医者さんを兼務していらっしゃいます。この本は、在宅ホスピス緩和ケアーについてかかれています。在宅(暮らしているとろ)、ホスピス(命を見つめ、生き方死に方を考える)、緩和(痛みや苦しみを和らげる)、ケアー(みんなが力を合わせて面倒を見る)ということです。人は痛みや苦しみが除かれることによって、安らかに、大らかに、朗らかに最期を生きることが出来る。これによって、ストレスがなくなり、治癒力が高まっていきます。自らが持っている治癒力を高めることによって、病気が治るでしょうし、長生きにつながります。人生の最期を病院で迎えると、つらい治療を受けながら、あれをしてはいけない、これを食べてはいけないと言ったいろいろな規制を受けながら、殺風景な部屋で一人で亡くなっていくケースが多くなってきます。ストレスがたまり治癒力が低下してしまうのです。一方、自宅で最期を迎える人は、長年住み慣れた自宅で家族や友人に囲まれながら、好きなことをし、好きなものを食べ、ストレスのない生活が出来ます。長生きできる上に、希望しながら、満足しながら、納得しながら最期を迎えることが出来るのです。しかし、最期を自宅で迎えることは難しいと考えている方が多いかと思います。家族に迷惑がかかるからとか、妻と二人暮らしで、妻一人で看護は出来ないからとか、自分は一人暮らしだからとても無理とか。それが最近はだんだんと出来るようになってきています。それはトータル・ヘルス・プランナーというものがが出来てきたからです。即ち、医師と看護師と介護士がチームになってこれに当たるのです。訪問診療、訪問介護訪問看護、訪問薬剤、訪問入浴、介護ベッドレンタル等のシステムも整い、さらに最近保険も出来たので、費用的にも入院するよりも安いようです。更に次の様なものもあります。

PCA(魔法のお弁当箱)=痛みが出たときにボタンを押すとモルヒネが一回分投与されます。痛みが出たら何回でも押すことが出来ます。一日に何回までという制限もありません。一度押すと十五分間でないという安全面にも気配りされています。

夜間セデレーション=痛みや苦しみのために夜間よく眠れない人のために睡眠薬の力を借りて深い眠りに入り、朝が来る頃に薬が切れて自然と目が覚める。これには眠ったまま亡くなる場合もあるそうです。(これって最高じゃないですか!)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月のお念仏の会   第344回

あけましておめでとうございます。平成最後の正月はとても穏やかな天気に恵まれたスタートとなりました。この穏やかな天候と同じように全てが穏やかでありたいものです。
私は昨年暮れに”天才ジョッキー武豊”の特集番組をテレビで見ました。彼は4000勝という正に前人未到の大記録を打ち立てたのですが、彼の父親の武邦彦も一時代を築いたすごいジョッキーでした。そして何よりも、とにかく大勢のファンに愛された素晴らしい人間でした。インタビュアーの”お父さんからはどんな指導を受けましたか?いろいろなことを教えてもらったのではないのですか?”との質問に答えて、父は特別何も言いませんでした。ただ”他人に好かれる人になりなさい”とだけはいつも言っていましたと。
この”他人に好かれる人になる”という句は賛否両論あるようです。自分を押し殺し、我慢を積み重ね、他人の顔色を伺いながら生きてゆくことのどこが素晴らしいのかと疑問を投げかける人がたくさんいるようです。松下幸之助などに大きな影響を与えた中村天風、その著『君に成功を贈る』の中に”好かれる人”として、
相手の気持ちを察することができる、優しい、話を聞いてくれる、楽しい、人の意見を聞ける、謝ることができる、素直で謙虚、感謝ができる、頼りになる、いつも笑顔、愚痴を言わない、安心できる、心が豊か、相手の幸せを心から喜べる等書かれている。
私は常々”自分がこの世で生きている”のではなくて、”生かされている”、”生かして頂いている”のだと皆様にお話ししていますが、”好かれる人になる”ための原点がここにあるような気がします。おかげさまと感謝しながら、自分は生かして頂いているのだという思いを持って生活したいものです。、
 尚、お念仏の会終了後、例年どうり、新年会が開かれました。和気藹々とした雰囲気の中であっという間に予定の時間が来てしまいました。恒例のビンゴゲームも行われ、榊原美千代さんが一等賞を獲得しました。おめでとうございます。

十二月のお念仏の会   第343回

前月は、法然上人初学の地である菩提寺の大銀杏やご法語についてお話ししましたが、今月は、法然上人が出家するまでをご法語にそってお話し致します。
法然上人の父は漆間時国といい、美作の豪族で押領使(警察官と村長を兼ねたようなもの)をしていました。そこに預所(あずかりどころ)という、今でいう支配人に当たるものが出向いてきて、年貢などの管理にあたります。そしてこの地にも明石源内定明という預所がやってきました。地元の豪族が仕切っていた所に、新たによそから、しかもその上に立つ者が入ってくるのですから、うまくいかなくなるのは想像がつきます。そして、時国と定明とが決定的な不仲になってしまいました。ある夜、定明は夜陰に乗じて、時国の館を襲ったのです。不意を討たれた時国はここで非業の最期を遂げたのです。時国はいまわの際に、九歳になる法然上人に遺言を述べます。”もし私の仇をお前が打てば、次はお前が仇として狙われる。尽きることのない仇打ちを止め、出家して私の菩提を弔い、自らの解脱を求めなさい”と。
法然上人はのちに浄土教を確立して「厭離穢土欣求浄土」(穢れたこの世を厭い離れ、真実の浄土を欣い求める)と唱えましたが、その原点がここにあるのではないでしょうか。

十一月のお念仏の会   第342回

秋が深まってまいりました。あちらこちらから紅葉の便りが届いています。紅葉というと、法然上人初学の地である菩提寺の大銀杏が頭に浮かんでまいります。叔父観覚に学ぶため同寺に向かう途中、銀杏の枝を杖代わりにしました。着いた時に、この枝を庭に植えたところ、芽が吹いてきたということです。今の時期、この大木の周りは金色のジュータンが敷き詰められたようになっているのではないでしょうか。紅葉の秋は歌人たちに愛される季節です。法然上人も秋を詠ったお歌残されてます。
 阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば  秋の梢の 類ならまし
このお歌は、地道に毎日お念仏を唱えることによって、信心が徐々に深まっていく様子を、紅葉に例えて詠まれたものと言われています。春に芽吹いた青葉は暑い夏を乗り越え、様々な苦難を乗り越えて、秋にやっと紅葉するのです。何事も一朝一夕に成るものではないのです。 

十月のお念仏の回   第341回

共命鳥
阿弥陀経』の中に、体が一つで頭が二つある共命鳥(ぐみょうちょう)という鳥が出てきます。この二頭は日頃から大変仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていました。ある時、一頭が我慢しきれなくなって、もう一頭に毒を盛りました。毒を飲んだ一頭はもがき苦しみ始めました。次の瞬間、毒を盛った方も苦しみ始め、二頭とも死んでしまいました。これは何を表しているかというと、世の中の生きとし生けるものは、共に助け合いながら生きているのであって、決して自分一人の力で生きているのではないということを説いているのです。例えば、自然の力である太陽や雨や風、草や木に至るまで、どれ一つ欠けても、人は生きてゆくことはできないのです。あらゆるもののお陰で生きている、生かされているのです。全てのものに、おかげさまと感謝しながら生きてゆかなければならないのです。

九月のお念仏の会   第340回

インドネシアジャカルタで開催されているアジア大会も閉会式を迎えようとしています。日本は前回大会よりかなり良い成績をあげたようです。2020年の東京オリンピックに弾みがつくのではないでしょうか。今回の大会にはトップクラスの選手が出ていない男子体操では良い成績があげられなかったようです。30〜40年ほど前でしょうか、小野、遠藤といった選手が活躍した時代は日本の黄金時代でした。その後ロシアが力をつけてきて、頂点に立ちました。それとは逆に日本は凋落の一途をたどりました。アテネオリンピックの15年ほど前、日本の体操の指導者がロシアを訪ねました。そして『ロシアがこんなに強くなった理由を教えてください』と尋ねたところ、『日本の体操が何故強いのか、私たちこそ、選手の強化方法を黄金時代の日本から学んだのです。私たちは何も新しいことはしていないのです。』という返事が返ってきたのです。ロシアの指導者たちは、撮影してきた日本の練習ビデオを繰り返し見、分析して、若い頃は徹底的に基本だけを教え込み、見た目に派手な大技を教えてないことに気付いたそうです。それを聞いた日本の指導者たちは、練習方法を根本的に見直したのです。その結果今の体操王国日本が復活したわけです。いかに基本が大事かということです。目先の成果にとらわれず、地道に基本を継続することが。
浄土宗の基本の教えは称名念仏です。そしてその神髄も称名念仏です。お念仏に励みたいものです。

七月のお念仏の会   第339回

ブータンのワンチェク国王夫妻が来日したのが七年前です。当時、爽やかで清々しい国王夫妻自身の人気と”幸福の国ブータン”ということで、日本中に大ブームを巻き起こしました。その後、月日が経ち、今現在のブータンの人々の心持ちはどうなっているでしょうか。携帯電話、スマートフォーン、パソコンなど当時なかったものが次々と普及し、あらゆる面で世界中の国々と自分たちを比較するようになってきました。もともとGDPの低い国(191カ国中、日本は第3位、ブータンは165位)ですから、人々の心は変わっていくのが当然だと思います。当時は1位だった幸福度ランキングは、現在97位まで下がってしまいました。ずいぶん順位を下げましたが、極貧国の中ではかなり上位にランクされていると思います。ちなみに日本は51位です。
日本においても都道府県別の幸福度調査が行われています。1位が福井県、2位が富山県、3位が石川県と北陸3県が上位を占めてます。北陸地方真宗王国と言われておりますが、まさに面目躍如というところです。ではなぜ仏教信仰の厚い地域が幸福度ランキングが高いのでしょうか。そこには、”ありがたい””おかげさまで””もったいない”といった仏教に於ける根本的な考えがあるからではないでしょうか。『足るを知る者は貧しといえども富めり。足るを知らぬ者は富めりといえども貧し』
『足るを知る』ことが幸福への近道ではないでしょうか。
 尚、八月のお念仏の会は例年通りお休みです。